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堀江 昭佳 × 中村康介 2017卒業生対談

セミナーコンテストで手に入れたもの

セミナーコンテストグランプリ2017
卒業生対談

 

PROFILE プロフィール

堀江 昭佳(ほりえ・あきよし)
漢方薬剤師、不妊カウンセラー
有限会社 堀江薬局 代表、一般社団法人 日本漢方薬膳協会 代表理事
薬学部を卒業後、薬剤師となったのち、対症療法中心の西洋医学とは違う、東洋医学・漢方の根本療法に魅力を感じ、方向転換。血流を中心にすえた西洋医学、漢方医学、心理学の3つの視点からの総合的なアプローチで解決した、心と体の悩みは5万件を超える。特に専門とする不妊相談は9割が病院での不妊治療がうまくいかず、来局されるケースであるものの、2009年のHP開設以降だけでも、794人の妊娠報告を受けている。2016年、『血流がすべて解決する』を出版し現在20万部を突破。
2013年セミコングランプリ優勝。

 

中村 康介(なかむら・こうすけ)
選ばれる人材クリエイター
株式会社 アクエリアス 代表取締役社長、アクエリアス モデルズ 代表、トータルコーディネートラボ 代表
明治大学商学部在学中にスカウトにより、モデル業を開始。卒業後、株式会社NTT DATAにSEとして入社。在職中に芸能プロダクションに入り、数々のレギュラーを持つ。4年間の在職後、退職。その後、CM、雑誌、広告に出演するほか、モデル事務所、ファッションコーディネートの会社を経営するかたわら、セミナー講師として全国各地で講演を行っており、婚活の場、芸能の場など、さまざまな分野における選ばれる人材の育成に努めている。
2014年セミコングランプリ準優勝、2015年ベストセミナー講師新人賞。 

 

卒業生対談

中村:堀江さん、こんにちは。今日はよろしくお願いします。

堀江:よろしくお願いします。

中村:セミナーコンテストが10周年を迎えましたね!今日は 「セミナーコンテストで手に入れたもの」というテーマでお話をさせてください。

まず簡単に、僕から自己紹介をさせていただきます。僕は、アクエリアスというモデル事務所を経営している中村康介と申します。12年のモデル人生から得た「1000回のオーディションで見つけた選ばれるための自己紹介」という内容で、2014年のセミコングランプリにて準優勝を獲らせていただきました。

現在は会社経営をしながら、全国各地の結婚相談所や市町村などを中心に、年間100本ほどのセミナーをしています。また自分自身はプレイヤーとして、現在5本のCMに出演しています。同時に5本というのはこれまでになかったことなので、自分の中では快挙ですね。

堀江:ぼくは島根県の出雲大社のお膝元で漢方薬局をしている、堀江昭佳です。婦人科の漢方薬剤師で、とくに不妊症が専門です。その経験について2013年のセミコングランプリでお話をさせていただいて、優勝させていただきました 。

中村:グランプリのDVDを何回も見ました。影響力がすごいですよね。

堀江:そう言っていただけるとうれしいです。全国から不妊の相談を受けています。9割5分くらいは島根県外の方です。その9割が体外受精などを試したけれどダメで、どうしていいかわからなくて来られる方ですね。

平成21年から今年の11月までで、妊娠した人が 777人になりました。セミコンに出た後にどっと増えて、平成26年が107人、27年が155人、平成28年はたぶん200人を超えます。3日に2人くらいの勢いで、喜びの報告をいただいていることになります。

あとは今年の3月10日に『血流がすべて解決する』という本が発売されました。現在17万5千部を突破しています。

 

セミコンで自分の市場価値を知る

中村:飛ぶ鳥を落とす勢いで活躍されている堀江さんですが、2013年のセミコンに出ようと思ったきっかけは何だったのでしょう。

堀江:実はセミコンのことを全然知らなくて、本当に偶然だったんです。セミコンに出場する友人を応援するために大阪大会へ行って、その時に次回の出場者を募っていたので、おもしろそうだと思って出場することに決めたんです。

中村:そのとき、発表するテーマはすでに決まっていたんですか。

堀江:ぼくには一つしか話すことがないですからね。それをきっかけに出場して、優勝したんです。

中村:では、そのご友人がきっかけなんですね。

堀江:そうです。ああいうご縁に乗っていくのがいいなって思っています。

中村:なるほど。僕は堀江さんとモチベーションが全然違って、自分の市場価値を知りたいと思って出場しました。もともと人前で話すのが好きだったので、自分のプレゼンテーション、セミナーがどのくらい世に通じるのかが知りたかった。プロの目でジャッジしてもらって、自分の位置がどのあたりなのかを知りたかったんです。

堀江:確かに喋り方がとても上手だと感じましたが、これまでにも人前で話す機会はあったんですか。

中村:今はモデルをしていますが、もともとはシステムエンジニアだったんです。IT業界の方は資料作りは本当に上手なのですが、いざそれを伝えようと思うと、そこはあまり得意ではない方が多かったんですよ。僕は話すのが得意だったので、会社員時代によくプレゼンを担当していました。そういう意味では話す機会はありましたが、セミナー講師のような経験はありませんでした。

周囲の人は「話がうまいね」「わかりやすい」と言ってくれましたが、それはあくまでも内輪ですからね。僕のことを知らない人が見たら、どのくらい通じるんだろうというのが、すごく知りたかったんです。

堀江:じゃあ、コンテストはまさにぴったりですよね。タレントの業界もそうでしょうが、競争して勝ち残って、というのが向いているんですね。康介くんのパーソナリティにも目的にも合っていて、セミコンに出場したということですね。

中村:実際に出場して全国の場に立てて、かつ2位を獲れたということに満足しています。やりきったという感じです。

 

「誰に話すか」を明確にすると、迷わない

中村:地方大会で印象に残っていることはありますか?

堀江:セミコンの会場で、泣かれた人がいたんです。これは衝撃でした。ぼくはセミナーのように、たくさんの人の前で話をするのが初めてだったので「ぼくの話で泣くんだ」ってビックリしたんです。新しい自分を発見した瞬間でした。

中村:それまで経験のない堀江さんが、10分のセミナーを作るのは難しくなかったですか?

堀江:ぼくは講座で教わったことをそのままやるタイプなんです。言われたことをそのまま順番に当てはめて作っていきました。10分に抑えるためにたくさん捨てたものはあったし、振り返りの作業も非常に多かったけれど、基本的には王道。だから迷うことはなかったです。

中村: 僕は10分に集約するのが本当に大変で難しかったです。地方大会のときは、70人くらいのオブザーバーがいらっしゃったんですが、その人達の10分間をいただいてお話をするわけですよね。そこではスキルやシナリオ以上に「自分は何者なんだろう?何を伝えることが出来るんだろう?」という、日々の中では避けてしまいがちな人生の核心、根源となる質問の答えを求められているように思えてしまって。

堀江:ぼくは全然違う考え方でした。セミコンって自分のために話をしているわけじゃなくて、伝えたいことがあって、伝えたい人がいるんですよね。ぼくの場合は不妊の人達に知ってもらう、あるいは伝えるってことが目的です。

自分がどう表現したいか、自分がどう見られたいかというのはどうでもよくて、「子宝を授かるためにどうしたらいいか」を知ってもらって初めて存在価値があります。そのために役立たないものはすべてムダと言えます。そう思うとすごくシャープになるし、シャープになればなるほど伝わりやすくなります。伝えるために必要なものだけを残して、あとは全部捨てるようにしていたので、そこはわりと苦労しませんでした。

今、話を聞いていて思ったのは、自分にフォーカスすると迷うということです。セミナーを誰が聞いていて、誰に話をするかにフォーカスすると、そのための方法だったら客観的に見られるじゃないですか。だからぼくは迷わなかったのだと思います。

中村:なるほど。来ていただいた方に価値ある10分を、と思うと、結局自分が何者で、何だったら喜んでもらえるんだってことを突きつめて考えますよね。堀江さんの場合は話すテーマが決まっていたから、テーマに迷うこともないですよね。

堀江:テーマというよりも「誰に対して話をするか」が先だから、その人に必要な情報っておのずと決まりますよね。だから迷わないのかもしれません。

 

練習量が質に変わると、感情を乗せて話せるようになる

中村:グランプリに出る際の準備などで、大変なことはありましたか。

堀江:練習会には2回くらいしか出ていません。島根県なので、タイミングよく大阪に来られなかったんです。ですので、ずっと自分一人で練習していました。

中村:練習は結構やっていたんですか?

堀江:100回くらいはしました。前年度優勝の方が100回やるとぴたっとできるようになるって言われていたので、「じゃあ100回やろう」って。通勤中に車の中で100回、そらんじて言えるようになりました。

あとは前年度のDVDを見て、コメンテーターのコメントをすべてメモしました。ぼくらの年はコメンテーターのコメントが甘かったんですが、2012年はすごくシビアだったんです。レベルの高い人達のレベルの高いダメ出しだから、それを実践するようにしました。

中村:僕は家の前のホテルに宿泊して、やはり練習を100回やりました。一日10回やるのを自分の課題にして、毎日正の字を書いていましたよ。難しいのは、ストーリーもスライドもすべて決めたうえで100回やらないと意味がないということ。最初にカッチリ決めるのが大事だと思います。

堀江:途中で、練習量が質に変わる瞬間がありませんでしたか?時間とかが全部読めるようになって、ぴたっと終わる感じです。

中村:あります。感覚でつかめるようになりますよね。

堀江:そうですよね。するとそのうえで、感情を乗せて話せるようになります。そこに変化する瞬間があるんです。

中村:100回を超えたくらいでしょうか。

堀江:そうですね。あの経験は今もすごく役立っています。自己紹介の鉄板みたいになりました。

コンテストであり、フェスティバル。だから楽しんで!

中村:グランプリでは、発表の順番が7番目でしたが、どんな心境でしたか?

堀江:ぼくは結構楽しかったです。緊張されている方もありましたが、ぼくは地方大会でも7番目で、全国大会でもくじで7番だったので、正直「きた!」って思いました。トリが良かったんですよね。

中村:どんと構えていてすごいですね。7番目で緊張する、というより楽しもう!という感覚ですか。

堀江:「やった、トリだ!」みたいな感じでした。普段はあまり運が良い方ではないのですが、ここぞ、という時には絶対にはずさないんです。

中村:セミコンは、コンテストとしての側面と、フェスティバルの側面がありますよね。僕は当日を迎えるまで、とにかく日々練習で頑張らなくちゃいけないというプレッシャーが大きかったんです。でも、いざ行ってみたらフェスティバルだなと感じました。みんな笑顔で、「頑張ってね」と応援の声をたくさんかけてもらいましたね。

堀江:確かに。みんなが気にかけてくれて、心強かったです。

中村:これからグランプリに出場される方は当日まで緊張するでしょうが、楽しんでほしいと思います。

堀江:そうですね。楽しむのが一番です。そして楽しむためには練習量が大事。練習しないと緊張してしまいますから。

中村:量が質に転化するところまで行けば、楽しめる領域になりますね。

グランプリに出場できることが決まった時に、ものすごくワクワクしたんです。セミコンはまさに甲子園みたいなもの。それまでものすごく練習して、苦しい思いもするし、たくさん怒られてハードだけど、甲子園に行ったら楽しいんですよね。セミコングランプリはまさしく、セミナー講師の甲子園だと実感しました。

 

セミコンは圧倒的な“ホーム”

中村:堀江さんはセミコンに出られて以降、本を出版されたり、協会を立ち上げられたり、非常に大きな変化があったのではないでしょうか。全国各地に堀江さんのファンやネットワークができていますものね!

堀江:そうですね。応援してくれる仲間が増えたと感じます。全国で講演会をすることになったとき、ぼくは全国のネットワークなんて持っていなかったので、セミコンの人達にお願いしたら、みんなが無条件で応援してくれました。利害関係もないのに応援してくれる。すごい心強いですよね。ここはホームだなと感じました。

中村:僕、出版記念パーティーに行きましたよ。

堀江:ありがとうございます。今までも仲間だという実感はあったし、一つの出身母体のような感じはありましたが、ホームだと感じたのはあの時が初めてでした。それまで人に頼んだり、お願いしたりすることが苦手でできませんでした。でも、出版の時は背に腹は代えられなかったんです。そうしたら、みんながぼくのお願いを聞いてくれるんです。ここぞという時に頼りにできる人達がいるって、なんて心強いんだろうと思いました。

ただ16万部というと、結果としてそればかりが出てしまうけれど、16万部にいくのも理由があって、ぼくを支えてくれる、応援してくれる人がいて初めて達成できることなんです。講演会も3月4月の段階で十数回以上して、全体で700人以上になりました。

中村:今年で何人でしたか。

堀江:2,000人くらいですね。そんなにたくさんの方に聞いていただけるとは思ってもみませんでした。でも最初の輪が広がり始めたところにセミコンの仲間がいてくれたからこそ、その後わっと広がっていったように感じます。

中村:なるほど。やっぱり原点にセミコンがあって、そこから花開いている感じですよね。

堀江:そう思います。初期の一番心細かった頃に応援してくれた人達のことを、ぼくは絶対に忘れません。

中村:出身母体、同じ学校の卒業生、同郷の人……、そういう感覚がありますよね。たとえば書店で堀江さんの本を見つけると、僕の知っている人達が世の第一線で道を切り開いているんだなと感じて、すごく嬉しくなります。

堀江:本当のことを言うと、ずっと「セミコングランプリの優勝者の堀江さん」でいるのが嫌だったんです。それではセミコンに‘おんぶに抱っこ’ですから。優勝させてもらったからには恩返しがしたいと思っていました。セミコンの外で活躍して、逆にセミコンにひとを呼び込めるようになりたいと思っていました。今回で少しは貢献できたかな、と。

 

セミコンで手にした、自分自身の存在意義

中村:僕がセミコンで手に入れたものは、自分自身の存在意義です。

プレイヤーとしてモデルもやってきましたし、モデル事務所も経営してきたけど、自分自身が何に時間、労力、命そのものを使っていきたいのか、自分の生きる道が明確になり、確信を持って生きていけるようになりました。NTT DATAでのビジネスマンとしての経験やITの知識、モデルとしての表現力やモチベーションコントロールなど、今までの人生が一本の線で繋がったような感覚があります。

僕は、これから他のモデルのモデルケースの一つになりたいと考えています。 現在、全国各地でセミナーをしているため、モデル活動に対して注ぐことができる時間や労力に制限があるにも関わらず、自分のモデル人生においては、最多のCM出演数を実現することができました。

セミナー講師としても、モデルとしても、どちらの活動も同時に結果を出すことができたのです。セミコンに出場したおかげで、モデル事務所の方針も決まりました。

モデルはルックスを整えることは勿論ですが、それだけでは今後勝ち残っていけないと考えています。何でも良いから一つの道を突き詰めていくこと。ヨガでも料理でもゴルフでもセミナーでも何でも良いから、誰にも負けない自分の道を極めていくこと。それが結果として、モデル活動にも活きてくる。この誰にも負けない道をうちの会社では「スペシャリティ」と呼んでいます。スペシャリティを磨くことで活動の場を広げて、例えばセミナーや出版のように、自分にしかできない価値を発揮していくモデルの生き方もあって良いですよね。きっとそれはモデル業にも還ってくるだろうし。僕が、他のモデルにとってのモデルケースになれれば嬉しいですね。

これが僕が今後実現していきたいものです。

堀江:それって、何の業界でも一緒だと思うんです。スポーツ選手でも、イチローのようになれる人はごく一握りです。でもそうじゃない人達にも、いろいろな活躍の場があるって大事だと思います。そういう意味で康介くんの言っていることはたくさんの人に勇気を与えるし、将来設計ができますよね。先が不安だと迷うことも多いけど、将来の見通しが立つと安心するから、とても大事なことです。

安心すると余裕が出るから、見た目にも表れてきます。生まれつきの造作はあるだろうけど、キラキラしている人とギラギラしている人は、顔のいやらしさが違うでしょ。キラキラしている人は楽しそうだし、素敵じゃないですか。ああいう顔でいたいなぁと思います。

 

新しい人生へのパスポートに

中村:今後について聞かせてください。堀江さんはどのようにしていきたいですか?

堀江:今のところ、台湾、韓国、タイでの出版が決まっているのですが、ぼくも海外での活動をしてみたいと思っています。日本はもちろん良いところですが、外に出てみたいですね。あとは妊娠報告1万人を目指します。平成29年には1000人を突破できそうなので、累計1万人いきたいですね。

中村:どんどん増えていますもんね。そのうち世界中で堀江さんの本を読んで妊娠する人が増えるってことですね。すばらしい。そういう日が必ず来るでしょうね。

堀江:ありがとうございます。康介くんはどうですか。

中村:ぼくはモデルの道しるべとなりたいです。「こんなモデルの生き方もありだよね」という、一つの成功パターンになって、そこからさらに切り開いていきたいです。セミコンに出て、ぼくはかなり人生が好転しました。感謝しかないですね。

堀江:ぼくは勢いでセミコンに出ましたが、セミコンのおかげでいろいろな人や新しい価値観に出会うことができました。たくさんのご縁が繋がって、どんなものが生まれ、広がっていくのか楽しみです。その一番のきっかけになったと思います。

中村:本当にそうですね。人と会える機会が爆発的に増えました。僕にとってセミコンとは「新しい人生へのパスポート」ですね。今までは存在しなかった選択肢を選べるようになった、どこへでも行けるパスポートをもらったような、それがセミコンですね。

堀江:ぼくにとっては圧倒的な「ホーム」です。安心で安全で、計算も何もいらなくて、それでいて心強い。そういう人達が集まっている場所です。ホームがあるから安心できて、いろいろなことができるんだと感じています。

 

※対談は2016年12月におこなわれました。
写真:かんばやしちあき    文:戸田美紀

セミコン卒業生の声VOICE

「セミコンで何を手に入れたのか?」「セミコン出場後、仕事にセミナーをどう活かしているか?」など
セミコングランプリ出場者の声を紹介します。